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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)649号 判決 1957年12月25日

主文

被告は、原告に対し、金三十万円及びこれに対する昭和三十一年二月九日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担としその余を被告の負担とする。

この判決は、原告において金十万円の担保を供するときは、第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

(省略)

理由

原告が、昭和二十九年十二月頃、東京都江東区深川門前仲町二丁目九番地において、その母西田はなの営む飲食店の手伝いをしていたこと、被告は当時同区深川州崎弁天町二丁目一番地において、特殊飲食店を営んでいたが、その頃から右原告の母の営む飲食店に客として出入し、昭和三十年に入り訴外藤代〓治郎のあつせんで原告と婚姻することとなり、同年四月三十日、原、被告は少数の家族、知人とともに東京都文京区初音町中華料理店万興でいわゆる仮祝言を挙げ、同夜は原告とその附近の旅館に宿泊し、そして原告は翌日実母方に帰つた。一方被告はすでに同年三月二日訴外新井てると婚姻の届出を了しており、同年五月上旬頃右てるが被告方に来訪した原告と面接して、被告の妻である旨を言明したことについては当事者間に争がない。そして成立に争のない乙第一号証並びに証人窪田亨、同藤代〓治郎の各証言、同西田はなの証言の一部及び原告本人尋問の結果並びに被告本人尋問の結果の一部を綜合すると、前記仮祝言に至るまでの経緯及びその後の事情としては次のとおりであることが認められる。

被告は原告を知つて以来表面上同女との婚姻の交渉を進め、訴外藤代〓治郎、同窪田亨はこのことにつき被告の依頼を受けて、原告の母との折衝に当つた。

原告の母は、被告の身元を確かめるため右藤代を通じ被告の戸籍謄本を取り寄せたが右謄本は訴外新井てるとの婚姻届出前のものであつたのでその記載に信頼し、また仲介者たる右藤代、窪田の言及び原告の母がその一家の将来の生活の保証を求めたのに対し被告が東京都江東区深川州崎弁天町二丁目一番地所在の木造瓦葺二階建店舗兼居宅一様を贈与する旨予約したことなどを信用して原、被告の婚姻の成立に積極的な態度を取るようになつた。原告は被告との婚姻にはあまり気が進まなかつたが、母が右のように原、被告の婚姻に乗り気となつており、また被告から営業上も原告方の力となる旨の話があつたので、父のない境遇も考え、被告との婚姻を決意するに至つた。ところで被告は前記のとおり同年三月二日訴外新井てると届出により婚姻していたにかかわらず、これを秘匿して、未婚者である如く装つて右の如く原告との結婚話を進め、昭和三十年三月中旬過ぎに原、被告の縁談がまとまるに至つた。しかし原告方では年廻りが悪いことや営業上の都合などから挙式を翌年にしてほしい旨申し入れたところ、被告は原告の母に対し前記の家屋贈与の予約を公正証書によつてなし、とりあえずいわゆる仮祝言だけでもすませることを主張したので、原告方でも当分原告は母の住居と被告方を往き来する約束の下にこれに同意し、なおその頃被告は結納代りとして前記家屋敷地に隣接する東京都所有宅地二十五坪の借地権を原告の母に譲渡することを申し出て、同年四月三十日原、被告のいわゆる仮祝言が行われた。それなのに被告は原告を被告方に連れて行つて同棲することを避け、同夜は被告は原告を伴い右万興の附近の文京区春日町所在の某旅館に宿泊し、原告と情交関係を結んだ。そして翌日被告は原告を原告の母宅に帰らせた。その後原告は同年五月上旬頃被告方におもむいたところたまたま被告の妻てると出会い、そうして同女から同人が被告の妻であることを告げられて、初めて被告に既に妻があることを知るに至り、いたく衝撃を受けた結果、一時家を出て静岡県伊東市のしるべに身を寄せた次第であつた。一方被告は原告側の婚姻生活の実行ないし事件の解決の交渉に対し言を左右にしてこれに応ぜず、原告の処置についてはこれを放置し依然妻てるとの婚姻関係を現在に至るまで継続している。以上の事実のとおりである。

ところが被告は昭和三十年二月三日頃原告と婚姻することを決意したが、原告の母は原告の即時入籍を肯んぜず、かつ原告の家族の将来の生活の生活保証のため被告に対し、被告の母の所有名義の東京都江東区深川州崎弁天町二丁目一番地所在家屋の所有権の移転を要求したので、被告は同年二月末そのことにつき母と協議するため帰省することにし、原告にその旨を告げべく原告方に赴いたが、原告及び原告の母はその事情を知りがら面会を避けたので、原告側に婚姻の意思がないものと推断し、帰省の途中訴外池田てると婚姻した旨単に届出だけしたが、同人とは夫婦関係はなかつた。そして再び帰京したところ原告から婚姻の申入があつたので、右てるとの婚姻届は何時にても取消し得るものと思い、原告と婚姻することを決意した。そして同年四月二十二日原告の母と前記家屋を将来生活保証の必要が生じた場合同女に贈与することを予約し、さらに同女の要求により被告の母名義の土地の借地権をも原告との婚姻の結納として譲渡することを承諾し、同年四月三十日に万興において会合したものである。ところが原告の母はその後右借地権の名義書換えを要求、さらに右贈与の予約をした物件の登記済証、印鑑証明、委任状等所有権移転登記に必要な書類の提供を求めるに至つたので、被告は、原告側が被告側の財産を獲得する目的で、被告との婚姻の交渉を進めたものと考えるようになつたので、それで原告との関係を解消することを決意するに至つたものであり、なお、原告が被告に妻てるのあることを知つた後の同年五月及び九月に前後数回被告と関係を有したこともあるので、原告主張のような不法行為は成立しない。ただ、単なる私通関係であると主張するけれども、被告が原告と真実婚姻をする意思を有して、原告といわゆる仮祝言を挙げた趣旨の原告本人尋問の結果は前記認定に供した各証拠に照らして見て信用できないし、その他被告に真実原告と婚姻をする意思を有して原告といわゆる仮祝言を挙げたものであることを認めた上、前示認定をくつがえすに足りる証拠はない。もつとも被告が原告の母に対し被告の母名義の建物の所有権を贈与する旨の予約及び土地の借地権を結納として譲渡する旨承諾した事実は当事者間に争ないところであるが、前示認定にかかわる事実の経緯に照らして考えると、かかる事実があつたからとて、これのみをもつて直ちに被告に原告と婚姻する意思があつたことの証左とは認められない。

右認定の事実から考察すると被告は訴外新井てると婚姻していながらこれを秘して原告と婚姻するが如く装い、いわゆる仮祝言を挙げて、原告と男女関係を結ぶに至つたものであつて、被告が真実に原告との婚姻生活を営む意思を有していたとは到底認めがたく、ひつきよう被告は原告と婚姻する意思がないのに、婚姻に名をかりて原告の貞操を侵害し、且つ被告との婚姻生活への期待を裏切つて原告に対し重大な精神的打撃を加え、ひいてはその将来の婚姻にも支障を来さしめたものというべきである。

そこで以下原告のこうむつた精神上の損害に対する慰藉料の額について考える。

証人西田はなの証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二十五年三月静岡県立伊東高等学校を卒業し、同年日本赤十字社看護専門学校に入学したが、父が死亡したため同校を中途退学し、その後同年十月頃から東京都江東区深川門前仲町二丁目九番地に飲食店を開業した母の手伝いをして今日に至り、その間昭和二十八年五月美容師の国家試験に合格し、且つ被告との婚約当時未婚の女性であつて、就学中の弟三名を有するものであることが認められる。また成立に争いない乙第一号証及び被告本人尋問の結果によれば、被告は東京都立尚道中学校を卒業後研数学館に入学したが同校を中途退学したものであり、現に居住する高知市内(同市本町二丁目所在)に木造三階建延坪数約百坪の家屋を建築し、弟等との共同所有名義としているほか、原告に婚姻を申し込んだ当時東京都江東区深川州崎辨天町二丁目九番地で特殊飲食店を営んでいたこと及び被告は現在オートバイのセールスマンとして月額一万円ないし一万五千円の収入を得ていることが認められる。原告は被告はその母名義で東京都江東区深川州崎辨天町二丁目一番地に二階建延五十一坪余の家屋及び高知県に相当の農地を所有し、且つ特殊飲食店の経営により相当の資産を有しており、弟の学資をも貢いでいる旨主張するが証人西田はなの証言及び原告本人尋問の結果のうちこの点に関する部分は信用出来ないし、その他にこれを認めるに足りる証拠はない。被告の慰藉料額につき斟酌さるべき事情として主張する事実(前掲不法行為の成否の欄において被告の主張として摘記した事実)はいずれも被告の本件不法行為の成立及びその責任につき斟酌せらるべき事由に該当するとは解せられないし、さらにその認めるに足る証拠がないことは前示認定のとおりである。なお被告は原告は被告に妻があつたことを知つた後である昭和三十一年五月及九月にも被告と肉体関係があつたから、このことも慰藉料算定につき斟酌せらるべき事実と主張し、原告被告本人尋問の結果によればこのことを認められるけれどもこれが如何なる当事者間の交渉、経緯のもとに行われたのかは被告本人も明かにしていないので、この事実をとつて慰藉料額を算定するにつき考慮すべき事項とすることはできない。

よつて右認定にかゝわる事実に前記認定にかゝわる被告の責に帰すべき不法行為の態様並びにその他諸般の事情を併せ考慮すると被告の原告に支払うべき慰藉料の額は金三十万円をもつて相当と認定する。

よつて、原告の本訴請求は、右金三十万円とこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和三十一年二月九日から右完済に至るまで年五分の法定利率による遅延損害金の支払を求める範囲内でこれを正当として認容し、その余はこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中宗雄)

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